フランスワインの歴史
アルザスワイン の 歴史

 

都市の発展と中世アルザスのワイン商人

世俗の権力者である領主は、司教や修道院には、格別の庇護や免税などの特権を与えていた。この特権によって、司教や修道院は一般住民よりはるかに優遇された条件下で、葡萄を栽培しワインを造っていた。そして、そのワインの販売は商人を使って行っていた。
9世紀後半以降、このワイン商人は、教会の持つ通商や免税などの特権の下に、隣接するスイス方面は言うに及ばず、ライン下流域からスカンジナビアなど北海の彼方まで広範囲で活発な商取引を行い交易を拡大させた。
このワイン商人による交易拡大は、司教や修道院に莫大な利益をもたらし、司教権を増大させる基でもあるが、同時に、商人自身にも富をもたらし富裕化していくことになる。

アルザスの商人達は、ワインのみならず、麦、塩、茜(染料)を持ち出し、高級羅紗、皮革、羊毛、塩漬け鰊、干鱈等を持ち帰り、富を蓄積して行った。 それには、船頭・馬喰や職人など様々な職業の人の活動の支えと言う相関関係があってのことで、ストラスブールのような交通・交易の要所の街はそのような人々が集まり繁栄拡大していく。
今も残るストラスブールの旧市街と天高く聳える壮大なノートルダム大聖堂にその栄華の姿を見ることが出来る。

12~13世紀に、都市には「同業組合(コルボラシオン)」が組織される。ワイン商・毛皮商などの商人から船頭・パン屋・織物師・仕立屋・鍛冶屋などの職人にいたるまで、各種の同業組合が成立する。同業組合は、独自の規約をつくり、同一機能の排他的な利益保護や調停を図り力を蓄える。(1349年には、ストラスブール一市で28団体もあった)

こうした都市の興隆には、封建領主が、都市市民にも通商の自由や特権を与えて、領内の経済の活性化を図ったことにあった。その裏に、ワインの販売による莫大な利益の下に、強大化する一方だった司教権に歯止めを掛けようとする、もうひとつの意図もあった。

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グールメ


ワイン交易が活発で需要が増大すると、悪徳商人が暗躍するのは世の習いで、当時、アルザスでも混ぜ物や変造が横行する。
この悪弊に対して、ブドウ栽培者・醸造者・商人の同業組合が行政当局と共同で様々な規制を設け、ワインの取引と品質管理を行うのだが、何といっても、グールメの誕生が大きな働きをなした。 グールメは、ワインの生産者と顧客の間で、利き酒、値付けはもとより、売買斡旋から出荷までの一連の業務を通して力を振るった。グールメは同業者組合から選らばれた地域の名士が担ったから、時には権力の乱用もあったが、おおむね鑑定には信が置かれ、ワイン取引に貢献した。このワイン鑑定人が、後世、料理鑑定人へと変貌していく。

 

同業者組合
St_Stienne

14世紀にアムメルシュウィールで結成された富裕市民たちの Herrenstubengesellschaftから出発した組織で,市吏や司祭,裁判官たちなどを主たるメンバーとする。Stubenmeisterと呼ばれる団長を中心とし,ほとんど毎日のように本部に集まっては飲食や談笑やゲームに興じていた。
入会資格はメンバーの推薦とするが,ワインのきき酒試験に合格しなければならなかった。そして,合格者は1年間見習い団員としてワインの鑑定力を磨き,再びより高度なきき洒試験に合格して,初めて親方団員となることができた。

こうした入団システムは明らかに一般の職人組合のそれを踏襲したもので,たとえば物故メンバーの息子は無条件で入団が認められていた。また、集会では政治的・宗教的な議論が禁じられ、しかるべき恰好をせずに集会 に臨んだり、相手構わずワインを飲ませたり、正当な理由もなしに集会に欠席したりした者に対しては、罰金としてワイン3本の供出が課された。

このサン・テチエンヌ同宗団は今日もなお存在し、アルザス・ワインの普及のための様々な活動を活発に展開している。 試飲会、品質評価会、優秀ワインの保管、団員の就任式等の公式行事だけでなく、キエンツェムにおける一種の社交界をも形成している。

St_Stienne
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