フランスワインの歴史
ブルゴーニュ・ローヌの歴史

 

中世の巡回する宮廷とその構造

封建の世では、王は(領主である諸侯も同様)領内の主要な町々を常に巡回していて、定住の習慣は無かった。 この習慣はヴェルサイユ宮殿が出来るまで続くのである。

ブルゴーニュ公国の首都はディジョンだが、フィリップ善良公はフランドルを特に愛し、 この地の宮殿を改装・増築、あるいは新築したりして、統治期間の殆どをこの地の館を移り住んだ。当時のフランドルは経済的にも文化的にも欧州で最も進んだ地域であった。 (中世そのままの姿で現存する都市ブルージュ[ベルギー]に公国の栄華の姿を見ることが出来る)

本領地ブルゴーニュからの移動は当然大掛かりなものになる。 例えば、フィリップ善良公と妃イザベルは、1435年4月にディジョンからアラスを経由してリールまで、72台の馬車を連ねて巡回した。 この馬車には、公の衣類・宝石類、タピスリ類、礼拝堂用の飾り物、楽器、大砲、調理用品、パン係用品、ワイン係用品、妃の衣装ケース、1歳半の公太子シヤルロワ伯の荷などが積まれていた。 公に付き従う人員は、親族と廷臣である貴族、宮廷の各職務に携わる者達で、フィリップ豪勇公の時代には200~300人、フィリップ善良公の時代になると700~800人にものぼった。

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宮廷が移動してくると、その町の旅籠屋はおおいに潤った。(貴族の一部は近在の町に自分の館があればそこに逗留した) ブルゴーニュ公の宮廷ははっきり位階の固定された構造を持っていた。フィリップ善良公の時代で言えば、

第1の階層のトップに属するのは、公妃と公太子、公および公妃の親族である。
第2の階層には貴族がくる。各地の領主、婚姻政策により結び合わされ、ブルゴーニュ公国の顕官として、行政・軍事・外交の任に当った。また本領地ブルゴーニユの古くからの名門貴族もこの中に入る。

第3のグループは、高位の聖職者と法服貴族(法律や金融に精通した富裕なブルジョワで、婚姻によって貴族身分に滑り込んだ)。
この法服貴族には、公の大法官や諮問会議メンバーに出世する例もあった。ニコラ・ロランはその典型である。

フィリップ善良公時代には、仕立て職人から身を起こした総収税官もあって、一度、公の不興をこうむったことがあったが、財務を任せるのに余人をもつて代えがたいと、 その能力によって再び返り咲いた。娘二人をピカルディの貴族に嫁がせたと言う。

 

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これらの成り上がり宮廷人は、「侍従」などのようにブルゴーニュ公の内廷の職名を持つことが多いが、これはすでに公的性格を持った公国の役職となっていた。その構成は年を経るに従い、また領土の拡大に伴って複雑になっていった。

戦時には、軍事部門の職掌が増強された。このような宮廷人への取り立ては、職名に伴う諸特権や贈り物を与えることによって、貴族集団の中に新しい有能な家臣を取り込み、より強固な構造の宮廷が形作られた。

こうして、1426年には、98人の貴族を含む300人の役人たちがおり、その従者らを入れると、手当てが支払われている宮廷関係者は660人にのぼることが記録されている。
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