フランスワインの歴史
ブルゴーニュ・ローヌの歴史

 

ロマネ・コンティ

ルイ15世の時代、当時のフランスで最高のワインは、サン・ヴィヴァンのロマネのぶどう畑のものだった。この畑を手に入れようと、王の寵妃ポンパドゥール婦人とコンティ公が競った。
結局、コンティ公が勝ってワインにその名を残した。(当時の相場の10倍、92,400リーブル)

ポンパドゥール夫人は、その腹いせに、宮廷からブルゴーニュのワインを一掃したが、たまたま、リシュリュー男爵(先々代ルイ13世の宰相リシュリューの甥)が、ボルドーのシャトー・ラフィットを献上し、その味わいにすこぶる秀でたものがあったので、以後宮廷では、ラフィットがマダムのお気に入りワインになって行った。
また、マダムはコンティ公に対するあてつけもあって、新参のシャンパンを褒め讃えた。・・・・と俗説は伝えている。

ポンパドウール夫人は、平凡な徴税請負人の妻だったが、その絶世の美貌をルイ15世に見染められ、宮廷に召し出され、もっともらしい貴族夫人の肩書をもらって国王の側近くにはべることになった侯爵夫人である。芸術と美の擁護者でもあったが、国王の寵愛を巧みに利用、文武の高官の任免や外相プラスタンをあやつり、表外交にも嘴を入れ、20年間に渡って絶大な権力を振るった。

 

 

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一方、コンティ公は、公式にはルイ・フランソワ・ド・ブルボンと言われ、王家に繋がる大貴族である。
ルイ15世は、世に言われるよりはるかにしたたかな為政者で、表外交とは別に自分の影武者的秘密外交部を作り、その総元締めにコンティ公をあてた。
公は、当時の猟奇と挿話が渦を巻く外交の裏舞台を動かしていたのである。聡明かつ美男で、真の貴族にふさわしい高貴な精神の持ち主だった。文学、哲学、科学にも深い理解力を示した。ルソーを尊敬してその保護者になり、「エミール」が共和主義思想のために発禁になり逮捕状が出た時はフランスから逃亡させその後も保護した。

公は、優れた絵画や芸術品を集めた。音楽家を招いて行なう演奏はパリ最高のものだったと言われている。その宴を飾るべく手に入れたのがロマネだった。
1766年5月、当時10歳だったモーツァルトは、公の館で鍵盤を布でおおったクラヴィコードを弾き、その神童ぶりで並いる貴族を驚嘆させている。

表舞台と裏舞台の違いはあるが、ポンパドゥール夫人とコンティ公は、ロマネの畑を手に入れようと競った他に、当時のフランス外交でも競っていたのである。

 

 

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