フランスワインの歴史
ブルゴーニュ・ローヌの歴史

 

フランス革命とブルゴーニュワイン

Chateau-Clos-de-Vougeot

19世紀に於いては、クロ・ド・ヴァジョはロマネ・コンティ及びシャンベルタンと並び称され、ブルゴーニュの銘酒の中でも至上至高と見なされていた。(グルメ必見の名画「バベットの晩餐会」は、フランス革命直後の実話に基づく物語だが、<クロ・ド・ヴァジョ>が至高のワインとして登場する)

革命によって誕生した新生フランスを欧州の反動諸国が侵略しようとした危機を知って、フランス各地から義勇軍がパリに結集した。マルセイユの義勇軍が、後にフランス国家になる「ラ・マルセーエーズ」を歌い、クロ・ド・ヴァーショにさしかかった時、隊長は兵を止め整列させ、儀杖礼を命じて叫んだ。「我々が守ろうとするのは、かかる美しき祖国なのだ」と。 ところが皮肉なことに、革命は、この名畑を切りきざんでしまうことになる。

ブルゴーニュでは、著名な葡萄畑は殆ど僧院の所有だったが、革命政府は、総て国庫に没収していまい、その畑は地元の商人や農民に、その購買力に合わせて細分して競売された。その後採られた相統制度が、ただでさえ小さい畑を更に細分化させるという現象を生み、それが今日まで続いてきている。 ちなみに、現在<クロ・ド・ヴァジョ>の畑は90人、わずか13ヘクタールの<シャンベルタン>の畑でも20人に所有されている。(この所有者(生産者)の違いが品質のばらつきを生んでいる)

一方、ボルドーの名葡萄園も、殆どが貴族所有のものだったから、当然、国庫に没収され競売された。 ところが、ボルドーの商人は、商売にも長け、資本力もあったから、大きくシャトー単位で競売され、殆ど分割さることはなかった。 また、貴族もブルジョワからの「成り上がり」が多かったから、したたかで、なんとか変革と混乱の革命期をしのいで、回収したり買い戻したりした。 その後、貴族一家の同族体制を固めたり、シャトーを法人化したりして分割阻止に努めた。 そのためシャトーは持ち主こそ変っても貴族ないし大金持ちの所有で、同一性を保持している。

民主制のブルゴーニュ、貴族制のボルドーと言われる所以でもある。

 

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