フランスワインの歴史
ロワール古城歴史散歩

 

アンボワーズ城-新教徒虐殺

Amboise

アンボワーズ城の起源は遠くローマ時代に遡る。 ここに川中島があるのを利用して昔からロワール川に橋が掛かっていた。橋を押さえる拠点として、河畔に突き出ているこの高台に城塞が築かれたのである。
高い城壁の上に現存している建物が造られたのは、15世紀末から16世紀前半で、シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世の時代である。 後期ゴシック様式からイタリアからもたらされたルネッサンス様式への過渡期のものである。

シャルル8世はこの城で生まれ育ったので非常な愛着を持ち、ロワールでも最大級の城館に仕立て上げる端緒を開いた。1494年のイタリア遠征によって、イタリアから、建築家、彫刻家、装飾家、石工、造園師などを連れ帰り、彼らの技術が城の改築にふんだんに使われた。

2代後のフランソワ1世のとき、最も華やかな時代を迎える。多くの芸術家、文人、学者がこの城のサロンに群がった。人文主義者を擁護し、王立教授団を設立したのも彼である。

これが現在の「コレージュ・ド・フランス」の起源である。イタリアから、レオナルド・ダ・ビンチを招聘したのもこの時期。城の東南にあるクロ・リユセの館を与えられ、3年後(1519年)に亡くなるまで滞在した。フランソワ1世はダ・ヴインチと語り合うのを最大の楽しみにしていたという。

現在この館は博物館になっていて、建物、家具調度、生活用具なども15世紀に建てられた当時の姿に復元され、ダ・ヴインチが考案した各種の機械の模型なども展示されている。
フランソワ1世の宮廷が、置かれた頃は、2つの中庭を囲む壮大な城館だったが、その大部分は後世に取り壊され、ロワール川に面している部分と聖ユベール礼拝堂(堂内にレオナルド・ダ・ヴインチの墓がある)だけが現在残っている。

城のテラスから眺める眼下のロワールは、歴史の喜悲劇を歳月のかなたに流して、静かに流れている。

 

Amboise

 

新教徒虐殺
1560年、フランス中で宗教戦争の嵐が吹き荒れ、多数の新教徒が弾圧され処刑された頃。 新教徒の一党が秘かに、この地域に集まり、旧教徒の首領ギーズ公(後にブロワ城で暗殺されることになるギーズ公の父)を殺害しようと企てた。 だが、仲間から密告者が出て、逆に1500人あまりが次々に捕らえられ、アンボワーズ城に連行された。
ギーズ公は自分に対する殺害計画を、国王に対する反逆であるかのように言いくるめ、病身の若い国王フランソワ2世に迫って全員の処刑を命令させた。
ギーズ公は王妃メアリー・スチュアートの伯父でもあり、この時は絶大な権力を振るっていたので、新旧両教徒の和解を図っていた母后カトリーヌ・ド・メディシスでさえどうする事も出来なかった。

首謀者は四つ裂き、身分のある者は斬首。その他の大勢の者は城館のテラスや城壁の狭間から吊り下げられた。手足を縛って城の庭に転がし、重い石を積んだ馬車で轢殺すという無残な殺し方も行われた。なにせ捕らえた者が大勢だから吊り下げる所も、轢殺す余地も無くなり、城壁の上から突き落としたり、手足を縛ってロワール川で溺死させたりした。城の内外は死骸であふれ、死人の括約筋が緩んで排泄された糞と血の臭いとが充満。その死臭で息も詰まるほどであった。

17歳の国王と18歳の王妃はギーズ公に強要され、母后や廷臣達と共にこの凄惨な大量処刑を初めから終わりまで見させられた。

 

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