フランスワインの歴史
ロワール古城歴史散歩

 

シノン城-英国王となるアンジュー家

ロワール川の支流ビエンヌ川に面する小高い丘に、難攻不落を誇ったシノンの城がある。細長く突き出た岩盤の上にあって、三方が高い断崖で囲まれている。 このように地形そのものが要塞の要素を持つから、ローマ時代から城塞が築かれ、時の権力者の居城として堅牢なものに造り替えられてきたが、同時に、血なまぐさい戦の舞台にもなって来た。

現在見られる城は、後に英国王になるアンジュー家のへンリー2世(在位1154~89)が築き直したもの。 ヘンリー2世は、フランス王ルイ7世と離婚したアキテーヌ公女エレオノールを娶り、フランスに広大な支配地を獲得していき、プランタジネット朝の権勢を誇るが、晩年、不和になった妃や息子達に背かれ、フランス王フィリップ2世の軍に追い詰められ、この城で、寂しい死を迎えた。

跡を継いだリチャード(獅子心王)もまた、10年後に、フランスとの戦いの矢傷がもとで瀕死の重体になり、シノンに運ばれてきたが、城まで担ぎ上げられる前に、城下の町で息を引き取った。

次のジョン(失地王)も、フランス王フィリップ2世にこの城を攻められた。イギリス兵はよく防戦したが、兵糧攻めに切り替えられ、8ヵ月の包囲の未に陥落。フランスに於ける領地の大半を失うことになる。

天然の要塞として、理想的な地形の高台にあるシノン城は、石畳の道が、何度も折れ曲がりながら、斜面にしがみつくようにして街と結ばれているが、この道は、「ジャンヌ・ダルク通り」と呼ばれている。

城の上からは、ビエンヌ川とシノンの町が眼下に眺められ、スレートぶきの民家の屋根が、黒々とした波のように見える。石畳を敷き詰めた町の狭い通りの両側には、古風な木造の家々が並び、花で飾られたその出窓には、幾世代にも渡る人の温もりが感じられる。

高い断崖の上にそびえる城が、その家並みの間からときどき顔をのぞかせている。 橋を渡って対岸に行くと、壮大なシノン城の全容が眺めるられる。

「シノン」と言えば、その北隣の”ブルグィユ”と共に、ロワールを代表する赤の名酒である。
このロワールの中流域でフランス・ルネッサンスの華を咲かせて宮廷をおいた王侯貴族もこのワインを楽しんだに違いないが、あの「ガルガンチュワ」を書いたラブレーの生まれた地でもあることに思いをめぐらすと、軽快な酸味と果実味を持つこのワインも一味違ってくる。

 

Chinon

 

シノン城とジャンヌ・ダルク
百年戦争末期の1429年、各地で連戦連敗のフランス軍は、最後の拠点オルレアンにたてこもり、抗戦を続けていたが、落城は目前であった。 この時,突如として出現したのが、聖少女ジャンヌ・ダルクだった。

シノン城に逼塞していた皇太子シャルルに会い、「自分こそは、フランスを救う神の使者である」と言った。 それを信じた皇太子は、彼女をオルレアン救助に向わせる。神のお告げにより蹶起したと言うこの少女の出現により、フランス人の愛国心がめざめ、この時から、敗色濃厚な戦況はフランスに有利に展開する。

ジャンヌは、1430年5月コンピューニュに出撃した時、不運にもイギリス側に捕らえられ、魔女として火刑と言う悲劇的最期を迎えることになるが、23年後の1453年、フランス軍はイギリス勢力をフランス本土から追い出し、逆転勝利に終わらせる。

百年戦争を勝利したフランス王バロワ家は、その後、強固な王権を確立、ロワール河流域に、次々と宮殿式の城館を築き始め、遠征したイタリアの文化を吸収し、絢爛豪華な宮廷、<フランス・ルネッサンス>を迎えることになのである。

ジャンヌ・ダルクが初めて王太子シヤルルに会った建物は三方の壁が崩れ去り、大きな暖炉の跡だけが一方の壁に残っていて、ジャンヌ・ダルクを記念する浮き彫りが掲げられている。
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