フランスワインの歴史
プロヴァンス(フランス南部)の歴史

 

カタルニャ王国 第2の都 「ペルピニャン」

ペルピニャンは、ルションの首都であるが、長い間カタロニアに属し、バルセロナに次ぐ第2の都市である。早くから古代ローマの所領だった。470年頃、ゴート族とアラン族の支配を受けた。712年、ムーア人に征服された。その76年後に、フランク王国のカール大帝と結んだスペイン人によってムーア人は撃退された。 その後、フランク王国の伯爵らが支配し、イスパニア辺境区と称した。後にバルセロナ伯領として独立した。

カタルニャは、1137年、アラゴン王国と連合王国を発足させ、地中海貿易を独占して大繁栄した。 しかし、15世紀末のアラゴン王国とカスティリャ王国の合併とコロンブスによる新大陸到達は、カタルニャの繁栄に陰りをもたらした。 カタルニャとカスティリアの対立は深まり、反カスティリアの高まりを期に、フランスが介入した。1640~59年、94~97年、1808~13年の3度にわたり、フランスはカタルニャに軍を派遣している。

カタルニャの独自の文化発展には、フランスの影響が強く及んでいて、19世紀には、文化的・政治的自立をもとめる運動がカタルニャに起きた。1931年、アルフォンソ13世が亡命し、第2共和制が樹立されると、32年、カタルニャはスペイン共和国の枠内で独自の首長と議会を持つ権利を認められた。

スペイン内乱(1936~39)に際しては、カタルニャは、フランコ将軍のひきいる国民戦線に対抗する共和派の拠点のひとつとなった。 しかし、勝利したフランコの体制(1939~75)のもとでは、カタルニャの自治は廃止され、カタルニャ語の使用も禁止されてしまった。

民主化開始後の1977年、スペインの中央政府はカタルニャに対し限定的な自治を認め、カタルニャの歴史的な統治機構であるジェネラリタートの復興も認めた。

ルション地方が、フランスというよりスペインという印象が強いのも不思議ではない。フレンチ・カタロニアのアイデンティティはこの地方の誇りで、赤と黄色のカタロニアの旗があちこちに掲げられ、村の広場では人々が厳かに民族舞踊サルターナを踊っている。多くの人は今もカタロニア語を母国語として話している。

ここでは昔から平野全域にわたって、大量の果物や野菜が生産されている。この町の道路の片隅、あるいは木陰のある広場などでは、マイヨールの美しい彫刻を見ることができる。この彫刻家はこの町から南へ数キロ下った所に生まれ、一生をそこで過ごした。

 

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