フランスワインの歴史
プロヴァンス(フランス南部)の歴史

 

ミディ運河 -Canal du Midi

古代ローマの時代から使われた大西洋と地中海を結ぶ基幹ルートは、 大西洋側からボルドーを経て、ガロンヌ河を遡り、トゥールーズに至る。そこから、カルカソンヌまでは陸路を使う。カルカソンヌからは、オード川を地中海まで下るという方法だった。 しかし、 オード川は水量が乏しいため平底の小さな舟しか使えず、渇水期にはそれすらも通れないことが度々あって、かなり難儀な交易ルートだった。

ここに運河を通すアイディアはローマ時代からあり、「ゲルマーニア」を書いたタキトウスが、2世紀初頃に、提案している。また、中世では、カール大帝が、家臣に命じて調査させた記録が残っている。

この地方の塩税請負人総監で、スペインとの戦争時は御用商人を務めたピエール・リケが、初めて綿密な計算に基づいた具体的計画を練り上げ、長年関係者の説得に努力した結果、1666年10月、ルイ14世の承認を得ることが出来た。

リケは60歳になっていたが、翌年から工事を始め、14年掛けて、ほぼ完成間近までこぎつけたが世を去った。後を、息子が引き継いで、6ヶ月後に完成させた。開通式は1681年5月15日だった。

この運河は、トゥールーズから地中海岸の港町セートまでの全長240km。途中69ヶ所に水門を設けたもので、運河の最高地点は、海抜189m。 この種の運河は、水門で船を上げるため大量の水が必要なため、リケは、カルカソンヌ北方の山間のいくつかの川をせき止め、貯水量700万トンの人造湖サン・フェレオルを造成し、トンネルで運河の最高地点に水を引いた。このトンネル工事は、当時の技術では誰もが不可能と思っていた。

この運河の開通は、ボルドーを通じて北方市場に結びつき、予想以上の交易の活況を呈し、その後の南フランスの経済発展に大きく貢献するようになった。

現在、この運河は、鉄道とトラックの普及によって、その使命を終えて、主に観光船が行き来している。1996年世界遺産。

 

 

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