フランスワインの歴史
プロヴァンス(フランス南部)の歴史

 

欧州最古の大学都市「モンペリエ」

モンペリエと言う町の名は、「沢山の食品雑貨商」を意味すると言われている。
8世紀始め、サラセン(アラブ)の攻撃を受けて、かっては地中海に繋がっていた潟の砂州にあった町をその北岸に移したことが町の歴史の始まりと言われている。

大きく発展したのは、12~13世紀。その貿易活動は非常に活発になり、オリエントの高い評価を受け、マルセイユと肩を並べる程になった。特に、10世紀頃から始まった「スパイス-香辛料(胡椒、肉桂、丁字、生姜、唐辛子など)」の取引が、様々な国の商人を集め、その取引の一大中心地になった。(中世では、香辛料は貴重品で、中東・南アジアから輸入され、特に、胡椒は、高価で金と同価であった)

その盛んな商取引により、ユダヤ人やアラブ人はもとより、様々な国から、法律家、金貸し、化学者、医学者が来住した。それらの人々と町の繁栄が、1160年、法律学校。1180年 医学校を創設させた。これらはイタリアのボローニャに設立された大学(法律学校)と並ぶ欧州最古の大学で、現在、モンペリエが欧州有数の大学都市になった基でもある。

モンペリエに隣接する漁港のセット生まれで、モンペリエの大学で学んだ詩人・思想家・ポール・ヴァレリーとアンドレ・ジードの親交は、よく知られていることだが、ジードがモンペリエに一時期住まいを移したには、南フランスの品格高い優雅なこの町に深い愛着を抱いたことによるとも思えるのは想像の域を出ないが、フランスのガストロノミーを語る上で忘れることの出来ない「ガルガンチュワ物語」の作者・人文学者ラブレーは、1530年、ここの医学校で学位を得たのである。
その思想・精神(人間性を歪める一切の政治的、社会的制約を排除した自由精神)は、この町の気風になっているようである。それは、国家意識よりも市民意識を強く持ち、市民の幸福と市の発展は、自分たち市民の責任においてなすということ。

モンペリエは、現在、人口35万のエロル県の首都だが、「知能指数の高い都市」と呼ばれている。 1622年、ルイ13世は新教徒の拠点だったため、この町を攻め破壊したので、中世の街並みは多くはないが木陰の多い大通りやカフェテラス、近代的で贅沢な装いの店が並んだこの町は、セヴエンヌ山地と地中海の中間にあって独特の魅力を持つ都市となっている。

 

 

Copyright © wine-jiten.com. All Right Reserved