フランスワインの歴史
プロヴァンス(フランス南部)の歴史

 

ローマ時代の大規模ワイン産地「ナルボンヌ」

ナルボンヌは、紀元前400年頃 ギリシャ人がマルセイユから西に進出して植民地都市として建設したことに始まり、紀元前118年、ローマの将軍ナルボ・マルティウスが、ローマの属州ナルボネンシス(地中海沿岸の南フランス一帯)の首都(当時は港)と定めたことによって大きく発展した。

ローマ文明は基本的に都市文明だから、常に、軍事・行政・の拠点としての都市の建設に始まり、道路を整備した。 並行して、ローマの制度も導入される。軍務や行政に協力した者にはローマ市民権を与えられたから、それまで農村に住んでいたガリア人の貴族も次第に都市に移り住むようになって、都市は益々発展していった。

ナルボンヌは他の都市も同じだが、軍隊を退役した軍人を基盤としていた。その退役軍人の中に葡萄栽培・醸造に精通した人がいたのであろう。彼らがナルボンヌ周辺のいくつかの丘(今日のコルビエール、ミネルヴォワ、コトー・ド・ラングドック)の斜面にブドウを植えたのである。これがガリア(フランス)の中で、広い地域に及ぶブドウ園の始まりである。

ナルボンヌは、交易の中心地でもあった。ワインも重要な交易品の一つあった。ボルドーをはじめ、北のアルザスにも、ナルボンヌ製のアンフォーラの破片が多数出土していることから、ここからガリア全土に、大量のワインが運ばれて行った事は間違いない。

ナルボンヌからカルカソンヌ、トゥールーズを経てボルドーへ達するルートと、ローヌ川、ソーヌ川沿いに北上し、ブルゴーニュからアルザスにまで至ルートが、2つ大きなワインが運ばれた経路だが、この2つのルートは、後に、ブドウ栽培が地中海沿岸から、北上していくルートにもなるのである。

ローマ帝国の末期から、ゲルマン民族の移動が始まり、混乱の時代を迎えるのだが、ナルボンヌも、418年、トゥールーズを首都とした「西ゴート王国」の支配下に入る。 その後、初代フランス王と呼ばれるクローヴィスによって、「西ゴート王国」はピレネーの南に追い払われて、クローヴィス配下のトゥールーズ伯の封土となる。 幾多の変遷をへて、711年、新たに進入して来た「イスラム教徒」の支配下に置かれることになって行くのである。

現在、ナルボンヌには古代ローマの遺跡が全く残っていない。それは、フランス王-フランソワ1世(在位1515~1547)が、城壁築城のため、その石材として取り壊し使ってしまったためである。

 

 

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