フランスワインの歴史
ボルドー&南西地方の歴史

 

18世紀のボルドーの大繁栄

18世紀のボルドーは、全く新しい相貌を呈した興隆の時代だった。 ワイン貿易は量的にも増大したが、質的には革命的と言ってもいいほどの変化を遂げた。

しかし、最も劇的な変化は、植民地(サント・ドミンゴ&ハイチ)との砂糖と奴隷貿易で莫大な富を蓄積した事である。 (奴隷貿易は年36,000人と言う、とんでもない数字で、革命当時にはハイチには50万人の奴隷がいたと言う) 1770年代はボルドーの植民地貿易が最も盛んだった時期で、ボルドーに入港した船は「整備する暇も無く」みなとんぼ返りしていたと言う。

こう言った貿易で莫大な利益を得ていた町は、フランスでも他には無く、この莫大な富の蓄積が、「大劇場」の建設をはじめ、都市の大改造を可能にし、革命時には、フランスで一番立派な近代的な町となり、港町としての規模も最大となった。

時間的にはこの植民地熱より先に、ボルドーでは、「葡萄植え付け競争」が始まった。 ラトゥール、ラフィット、マルゴー、オー・ブリヨンなどは、既に名醸地としてイギリスでは好評を博していたが、ルイ15世の宮廷でも受け入れられるようになると、それに続けと、この時期、法服貴族や豪商たちがメドックやクラーブに新たな葡萄園の開発に走った。それが今日のメドックに於ける大半の葡萄園の始まりである。

ボルドー周辺の田園地帯にも同じ「葡萄植え付け競争」が起こっていて、1744年には、実に「管轄区域の半分がブドウ畑だ」と地方総監の代理人の報告がある。ブドウ畑が増えれば穀物生産が減少するからと言う理由で、「新しい植え付け禁止」令も一時出されるほどの「狂騒」振りだった。

質を求めるイギリスはもとより、ドイツ及びバルト海沿岸国のワイン需要の増大がもたらたこの「狂騒」は、1730年から70年の間に、ボルドーのワイン輸出額を10倍に上昇させた。 この時期、一級の葡萄園やそれに追従する葡萄園は、あらゆる手を尽くして最上のワインを生み出そうと、儲けた金を土地につぎ込んだ。
葡萄園の管理人の技術は確実に向上し、ラフィット、ラ トゥール、マルゴーの管理人は敬意が払われる有名人になり、葡萄園とワインに絶対的な力を振るうようになっていった。

ブルゴーニュの名醸地が修道院の技術が数世紀に渡って積み上げられたものであるのに対して、その何分の一かの時間で銘酒を生み出すようになるボルドーの背景は、英国を中心とする海外の大きなマーケットとそこから得られる莫大な経済力によるものである。

 

lin
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