フランスワインの歴史
ボルドー&南西地方の歴史

 

メドックの始まり

メドックは、かって沢沼地帯あった。その大西洋側は砂丘で、ジロンド川沿いも長い年月に川が運んだ砂利が堆積した同じような砂丘であった。沼地から今日の肥沃な広大な土地が現れ始めたのは、17世紀初めにオランダ人の「干拓業者」が、そこでの干拓許可を受けてからのことである。

16世紀のメドックは、人里離れた未開の地で、百年戦争時の要塞がジロンド川沿い点在していたが、道路はなく、交通の手段は船で、マルゴー、サン・ジエリアン、ボイヤック、サンテステフを結んでいた。メドックの土地は、殆どが不在地主で、1572年にはラフィツトの地所は60ほどの小作地に分割されており、主として小麦が作られていた。

ボンタック家がグラーヴの地所で葡萄園経営に乗り出した頃、まもなくして、一握りのボルドーの法服貴族がメドックで同じことやり始めた。メドックの古い地主だった帯剣貴族は、この辺境にある土地の権利を喜んで売ったから、地所の整理・統合は容易に行われた。その整理・統合が最初になされた土地が、そのまま今日の銘醸地として残っている。
この地に投資をし、整理・統合を行い、ブドウ栽培を始めた法服貴族は、「ラフィツト」「ラモット」、また「ブリヨン」などの名で示される小丘の頂の干からびて痩せた砂利地が、葡萄栽培に適していると分かっていたに違いない。

 

 

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1570年代、ピエール・ド・レストナックなる人物がラモット・マルゴー周辺の小さな地所を集め始めた。これが後の「シャトー・マルゴー」である。同じ頃にはボンタック家はサンテステフ、ル・タイヤン、バ・メドックの地所を手に入れていた。
アルノー・ド・ミユレは1595年までに「ラトウール」の地所の所有者となった。 彼の息子ドニは微小な所有地を合併し、さらに隣接する土地を購入して、1650年までには、小さな土地の寄せ集めだった領地を、管理人が経営するという近代的な意味での地所に変える事業を完成させた。ドニが死ぬとラトウールの地所は、ドレード・ド・レストナックの一族に受け継がれた。

レストナック家はすでに「シャトー・マルゴー」の所有者であったが、やがては「オー・ブリヨン」も分与されることになる。

ボルドーの「シャトー」、しかもその銘醸ワインの概念を打ち立て発展させたのは、驚くべきことに、一つの家系、別の言い方をすれば、一つの地方の名望家グループなのであった。

 

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