フランスワインの歴史
ボルドー&南西地方の歴史

 

 

最初のマーケティングが生んだワイン

「ホー・ブリヤンと呼ばれるフランス・ワインの一種を飲んだが、これはいまだかつてお目にかかったことがないような独特の味わいを持つうまいものだった」 これは、あの赤裸々な奇書と言われ有名な「日記」のサミュエル・ピープス氏の1663年4月10日の「日記」の一節である。彼が味わったのは「オー・ブリヨン」だった。

ボルドーのポンタック家は、ボルドー・ワインの最も古くからのご贔屓であるイングランドで、自分のブドウ園のワインに、「オー・ブリヨン」と「ポンタック」という銘柄名(ブドウ園の名をつけて売り出された最初のワインで、今日のシャトー・ワインの原型)を付け、今日で言うマーケティングを始めたのである。

1660年、ボンタック家の当主は息子をロンドンに送り、「ボンタックの首領(ヘッド)」という看板の酒場を開いた。ロンドンの最初のレストランとも言われ、かつて見られなかったような贅沢な酒場で、値段は非常に高く、通常の高級ワインの3倍以上だった。 これが大成功した。ロンドンの文化人や貴族に評判を呼び、フランス革命直前の1780年に取り壊されるまで1世紀以上も商売を続け、「オー・ブリヨン」は最高級ワインとしての名声を獲得していく。

ボンタック家は、商人階級で、ワインの輸出と織物の輸入で財をなし、ボルドー市長や議会の議長を輩出するボルドーの名門で、その収入と生活様式は、ほとんど王侯と呼ぶにふさわしく、邸宅は四つの丸屋根を持つ町一番の豪邸であった。
先祖伝来の田舎の邸宅が「シャトー・オー・ブリヨン」で、そのブドウ畑は干からびて痩せた石の多い土壌であることから「グラーヴ」と呼ばれた。「ボンタック」の方は、メドックの畑のものだが、売出し当初のメドックは、まだブドウ園の開発は進んでおらず名声も博していない時期であった。

ボンタック家のワイン造りが、その財力と進取の技術に裏打ちされた品質のものであった事は想像できるが、このマーケティングの成功による利益を更につぎ込むことによって、比類の無い「銘醸ワイン」としての地位を確立して、ボルドー・ワインのモデルとなったことは間違いない。

 

 

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イギリス貴族のスノビズム
清教徒革命(1640~1660)と名誉革命(1688~1689)を経て、権力の中心から遠ざかる形になったイギリスの貴族階級は、身分の違いを見せつけるかのような徹底したスノビズムをひけらかすことによってせめてもの慰めとした。

身なりや余暇の過ごし方、そして飲み物(ココア・コーヒー・紅茶)によっても差異を示した。
従って、ワインについても別のものを求めた。
特に「メドックの銘醸ワイン」がその位置を獲得し、イギリスに於けるマーケットを広げ確立して行ったのである
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