フランスワインの歴史
ボルドー&南西地方の歴史

 

 

フランスに於ける英国領の始まり

8~10世紀にかけて、カペー朝の仏王の直轄領は、パリを中心としたイル・ド・フランス。北フランスの一部に過ぎなかった。それに比べ、アキテーヌ公領(ポワティエ伯爵とガスコーニュ公爵を兼務)は、北はロワールから南はピレネーまで、東はオーヴルニュの中央高原から西は大西洋までの広大な領地で、フランス王領の3倍もあった。

アキテーヌ公領の経済的基盤はその北部にあって、その西部海岸地帯は、レ島とオレロン島も含めヨーロッパの「塩」の主産地であった。新しい港(ラ・ロシェル)を建設し、莫大な利益を上げた。その交易を求め、北欧の国々から船舶が沢山来た。シヤラント川に臨むこの地域は温暖で、あまり霜も降りなかったから、ブドウ栽培も行われ、ボルドーより早く、塩と共に「ワイン交易」も盛んに行われた。

歴代アキテーヌ諸公の中で傑出した人物とされるギヨーム9世は、十字軍に参戦し東方の進んだ文化の影響を強く受け、帰国後、東西の文化人や楽人を宮廷に招いた。 東西文化の粋を集めたその宮廷は12世紀ヨーロッパ文化の中心的存在になっていった。ギヨーム自身も詩作に精を出し、宮廷趣味の理想を謳った史上最初のトルバドウール(吟遊詩人)と評されている。

 

 

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現在のポワティエには、当時のロマネスク様式の教会と共に、アキテーヌ公の壮大な宮殿跡があり、吟遊詩人の謳う「騎士道精神」と「エレガンス」が偲ばれる。
こうした環境に育ったギヨームの孫娘が、エレオノール(アリエノール)である。才気にあふれ、自由奔放な情熱の持主。
当時通例の政略的な婚姻だが、カペー朝のフランス王ルイ7世(在位1137~80)と結婚する。フランス王朝の当時の宮廷が地味であったのに加え、ルイ7世は「敬虔王」と言われた真摯なキリスト教徒であったから、この結婚がうまく行くはずがなく、10年足らずで離婚。
自由になったお妃は、30歳になっていたが、11歳も年下の「牡牛のように太い頸をした火山のような男」にひと目惚れして、さっさと再婚してしまう。 その男こそ、結婚した時はただのアンジュー伯アンリだったが、後に、母の血統で英国王の継承者となり、ヘンリー2世(在位1158~89)として即位する。

英国本土に加え、大陸の自出のアンジュー伯領の他、既に領有していたノルマンディ公領、メーヌ伯領、トウーレーヌ伯領に、最大のアキテーヌ公領も加わり、 後に、ブルターニュ公領も手に入れたので、王家のカペー家をはるかに凌駕する広大なアンジュー帝国(プランタジネット家国家)が英仏海峡にまたがって出現した。

 

 

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プランタジネット王国の盛衰
ヘンリーは政治的にも軍事的にも凄腕を見せ、旺盛な行動力で、イギリスと大陸の領地を守った。エレオノールも夫の右腕の役目を勤めると共に、自領のボワチエでは、吟遊詩人や文化人を招いて「中世文芸の花」と称される宮廷を作った。 その間、五男三女をもうけるのだから、仲が睦まじかったことを物語っている。 長男ウイリアムは幼くして死んだ。次男ヘンリーが実質的長男で、若王ヘンリーと呼ばれた。三男が有名なリチャード(後の獅子心王)。四男がジェフリー。五男が、ジョン(後の欠地王)である。次男のヘンリーは若死にし、四男ジェフリーは僧籍に入るで、歴史の舞台に登場する王子は、リチャード(獅子心王)とジョン(欠地王)である。

好調だった二人の仲が結婚15年目頃から破局に向かう。 「英雄色を好む」の例え通り、ヘンリー2世の数々の女出入りは、当時の王侯の常として黙認していたエレオノールも、特定の女に妃に準じるような寵愛振りと尊大さに、文化の香り高いアキテーヌ公女の誇りが許さなかった。 母親贔屓の息子たちも、今の言葉で言う「しかるべき権限委譲」をしない父親に母親と共に反逆する。

結論から先に言えば、夫婦、親子のいがみ合いの状況につけ込まれて、カペー朝の歴代のフランス王(エレオノールの先夫ルイ7世とその子孫のフリップ2世からフィリップ4世)、 に封建法の論理と術策を駆使され、封土の奪回や領邦君主の臣従化を許し、プランタジネット家(イギリス王家)は、大陸に於ける当初の所領の大半を失い、ギエンヌ公領とポンティウを保持するだけとなる。

ヘンリーは偉大な王であったが、晩年は病み衰え、孤独な死をシノン城で1189年迎える。 イングランドとアキテーヌを継承したのはリチャードで、第3次十字軍の遠征に出かけ、その武勇によって「獅子心王」と呼ばれた。リチャードはリムーザンの戦いで命を落とすと、王位はジョン(失地王)が継承した。

エレオノールは、夫に15年間も幽閉されるが、夫の死後、自由を取り戻し、リチャードとジョンの息子たちの王位継承を図っただけでなく、娘をスペインのカステリア王国の王にも嫁がせる。80歳を過ぎるまで生きて、英・仏・スペインにまたがって矍鑠たる威勢を晩年まで示すのである。 しかし、シェクスピアは辛辣に「腐敗せし老女」と書き残している。

ボルドーが、英国とのワイン貿易で興隆するのは、ジョン失地王の時代からである。
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